2006年03月14日

等身大の自分で 【18】 提供:相続・不動産の森

こんばんは、ルビーです。

先日、とある、チョイ高級クラブに行く機会がありました。

何が、チョイ高級かというと、席料もさることながら、その店の女性は皆ピアノを弾くことができ、交代でお客さんのリクエストに応じて曲を演奏するというスタイルです。

そして、女性全員が、演奏会で着るようなドレス調の衣装を纏い、ゴージャスさを演出していました。

僕らの席についた女性は、音大に通う、二十過ぎの「女のコ」で、

かなりの美人顔の方でした。

多少は店の照明の効果もありましょうが…

有名な方で言えば、上原さくらさんのような、目鼻立ちがハッキりした女性でした。


でも、席について会話をしていくうちに、僕は少々残念な気分になりました。

なぜなら、その女のコの、女性として、あるいは人としての「未熟さ」を感じたからです。


二十とは言えば、一人前の女性…その女性をつかまえて「未熟」とは、「偉そうに」と思われるかもしれません。

実際にそうです。

僕個人の言葉で表現すれば、「人生経験のまだ少ない初々しさ」とでも言えましょうか。


でも、このブログで皆さんに理解いただくために、あえてキツめの表現を使わさせていただきます。


その「未熟さ」は、別の表現を借りれば「薄っぺらさ」とも言い換えることができます。


では、なぜ「薄っぺら」なのでしょうか?


それは、その女性が、「自分を過大に表現している」からに他なりません。



具体的な会話の内容やその女性が口にされた言葉は、あえて申し上げません。

なぜなら、それは、会話のなかでの「言葉」だけではなく、「表現」だからです。

同じ言葉でも、その言葉への気持ちや思い入れが異なる表現では、人に伝わるニュアンスが違ってきますよね。


つまり、その女性は、等身大の自分ではなく、「身の丈より大きな自分を表現していた」のです。

それは、僕が特別なわけではなく、その場に同席していた他の男性や、少しでも人としての条理をご理解されている方なら、気づかれるものと思います。

もし、アナタの周りにそんな男性がいたら、どんなに外見が好みのタイプであったとしても、本気で愛することはできないですよね?


やはり、人に、そして異性に愛される人は、地に足をついた、「ありのままの自分」を表現できる方と思います。

そして、このブログをご覧になっていただいている方には、ぜひ、そうした女性であって欲しいと思いますよ!


今日の話、ご理解いただけましたか?




明日は、今注目されている「メガネ」のお話です。

お楽しみに。サクラ←ご協力お願いします!


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Posted by ルビー♂ at 00:43│Comments(0)理論編
 
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