2006年03月31日
イメージの演出を2 【31】 提供:相続・不動産の森
こんばんは、ルビーです。
二日空いてしまいましたが、続きをお話しします。
皆さんが想像しやすい例が良いので、芸能ネタを続けます(笑)。
芸能界において、類似するキャラクターのタレントが同時には存在しえない、という話はよく言われるところです。
どういう事かと言うと、芸能界においては、イメージが重なるキャラクターのタレントが、同じ時期に複数いた場合、それらが人気者として並び立つことが無い、ということです。
または、少々残酷な表現を用いれば、そうした場合、いずれか一人のタレントしか生き残れない、という意味です。
皆さんも、雑誌等の企画でよくある「あの人は今」などで見かけたことがあると思いますが、知らぬ間に、テレビ、あるいは第一線から退いてゆくタレントの数は、数年のスパンで見ると大変多いことに気付くでしょう。
勿論、一発芸や流行語などで一時的に人気が出た芸能人が、それらが飽きられる頃になると、急にテレビ画面から姿を消すという例は、毎年のように見かますが…
それ以外でも、イメージが重なる別のタレントが出てきたことにより、急に第一線から退くタレントは数多くいます。特に実名は挙げませんが、いわゆる「バラドル」と呼ばれる方々の移り変わりは、特に激しいものがありますね。
これらの変遷は、テレビ局を始めとするメディアの作為的な行為と思われがちですが、僕は、原因は、視聴者の「選択」によるものと考えます。
つまり、イメージが重なるタレントが複数存在することは、皆さん視聴者にとって「ともて分かりづらい」ことであり、その「分かりづらさ」を解消するため、無意識のうちに、そのいずれか一人を選択しているのです。
もう一つだけ芸能ネタです。
あるタレントに対する「イメージの固定化」とは、そのタレントに対する「飽き」を示しています。
何らかのブレイクにより人気が出てテレビに頻繁に顔を出すようになると、たとえ視聴者が特に悪い印象を受ける事が無かったとしても、急に人気が下降することがあります。
これらは、ファンや視聴者が「飽き」により、別のタレントに乗り換えたりすることが原因と考えられます。
「イメージの固定化」と「飽き」を同列に扱いましたが、通常は、「イメージの固定化」から「飽き」への流れです。
テレビ等に頻繁に登場した場合、その映像やコメントの内容から、視聴者はそのタレントの素性、あるいは性格を知り(想像し)、イメージを固定化してゆきます。
人によっては、こうしたイメージが固定化した後でも、外見的な好みがマッチした場合などは、飽きることなく何年も同じタレントを好きでいられる場合がありますが、
一般的な男性において、そうした感覚は大変稀有なものです。
男性にとって、「イメージの固定化」は即ち「飽き」であり、そのタレントが、以前は自分の中で突出した存在であったとしても、それ以外のタレントに対して徐々に心が移っていきます。
ところで、昨日からイメージに関する例を幾つか挙げてきましたが、最初の例を、モテたい女性における「サッカー」という「そぐわない」イメージの例えと捉えるならば、全てが「負」のイメージの例であることに気付かれると思います。
でも、一見すると全く脈絡の無い羅列のように見えるこれらの例が、ある共通の例えである点に気付かれている方は少ないと思います。
実は、これまでの例は、例えのなかの主体(女性、またはタレント)に欠けた、あるモノが原因で起こった事例を集めたものばかりなのです。
皆さん、お分かりですか?
その欠けたモノこそ、今回のテーマである「自己のイメージ」なのです。
人は、「あることをしたい」と思った時、あるいは「こうなりたい」と考えた時、自分がそうなった時のイメージを頭に描きます。
ただし、通常、そのイメージは漠然としたものが多く、自分のなかでそんなに定まっていないのが普通であり、自分の「こうありたい」というイメージを強く認識されている方は少ないと言えます。
でも、考えてみてください。
自分のなかで固まっていないイメージが、相手に伝わると思いますか?
自分が思い描くイメージは、自分の「表現」の根幹となるものです。
その基礎となる部分が不確かであるのに、それから導き出された「表現」が、相手にきちんと理解されるわけが無いと思いませんか?
これまでに挙げた例において、
極端な例えではありましたが、例えば、「男性にモテたい」と考えられている女性が、「ヨガ」ではなくて「サッカー」を趣味とすることは、誰が見ても少なからず矛盾を感じます。
また、モデル出身でこれから女優を目指そうと考えている方が、徐々にメディアに露出を図ろうとする段階…視聴者に対して自分のイメージ売り出して行こうという時期において、「男性である、自分にそっくりな父親」を例にとる必要性は感じません。
今日の例については、表現の集合体である「キャラクター」において、自己のイメージが確立されているかどうかはとても大きなポイントです。
芸能界で生き残るかどうかなど、「勝ち負け」は別として、定まった自己のイメージが重要である点には異論の無いところです。
最後の例では、「固定化されるイメージ」において問題となるのが、そのタレントが本来目指しているイメージではなく、それまでの発言を含めた表現によって、「持たれるべきでない」イメージが意図せず備わってしまうことことです。それが、ファンや視聴者が望むイメージと異なることによって、いわゆる「飽き」が生まれてしまうのです。
皆さんも、好きだったタレントに「飽き」てしまうのも、こうした、自分が「望んでいたイメージ」と異なるイメージを持ってしまう時ですよね?
つまり、タレント側から見れば、表現が定まっていなかった、または、最初は表現できていた自己のキャラクターを継続して表現できなかったということです。
ここまでのお話、ご理解いただけましたか?
分かりづらいことを承知でお話しをしていますが(笑)
明日は、これらのお話を、皆さんにあてはめて解説させていただきます。
多少はご理解いただけると思いますよ。
また、お会いしましょう。
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二日空いてしまいましたが、続きをお話しします。
皆さんが想像しやすい例が良いので、芸能ネタを続けます(笑)。
芸能界において、類似するキャラクターのタレントが同時には存在しえない、という話はよく言われるところです。
どういう事かと言うと、芸能界においては、イメージが重なるキャラクターのタレントが、同じ時期に複数いた場合、それらが人気者として並び立つことが無い、ということです。
または、少々残酷な表現を用いれば、そうした場合、いずれか一人のタレントしか生き残れない、という意味です。
皆さんも、雑誌等の企画でよくある「あの人は今」などで見かけたことがあると思いますが、知らぬ間に、テレビ、あるいは第一線から退いてゆくタレントの数は、数年のスパンで見ると大変多いことに気付くでしょう。
勿論、一発芸や流行語などで一時的に人気が出た芸能人が、それらが飽きられる頃になると、急にテレビ画面から姿を消すという例は、毎年のように見かますが…
それ以外でも、イメージが重なる別のタレントが出てきたことにより、急に第一線から退くタレントは数多くいます。特に実名は挙げませんが、いわゆる「バラドル」と呼ばれる方々の移り変わりは、特に激しいものがありますね。
これらの変遷は、テレビ局を始めとするメディアの作為的な行為と思われがちですが、僕は、原因は、視聴者の「選択」によるものと考えます。
つまり、イメージが重なるタレントが複数存在することは、皆さん視聴者にとって「ともて分かりづらい」ことであり、その「分かりづらさ」を解消するため、無意識のうちに、そのいずれか一人を選択しているのです。
もう一つだけ芸能ネタです。
あるタレントに対する「イメージの固定化」とは、そのタレントに対する「飽き」を示しています。
何らかのブレイクにより人気が出てテレビに頻繁に顔を出すようになると、たとえ視聴者が特に悪い印象を受ける事が無かったとしても、急に人気が下降することがあります。
これらは、ファンや視聴者が「飽き」により、別のタレントに乗り換えたりすることが原因と考えられます。
「イメージの固定化」と「飽き」を同列に扱いましたが、通常は、「イメージの固定化」から「飽き」への流れです。
テレビ等に頻繁に登場した場合、その映像やコメントの内容から、視聴者はそのタレントの素性、あるいは性格を知り(想像し)、イメージを固定化してゆきます。
人によっては、こうしたイメージが固定化した後でも、外見的な好みがマッチした場合などは、飽きることなく何年も同じタレントを好きでいられる場合がありますが、
一般的な男性において、そうした感覚は大変稀有なものです。
男性にとって、「イメージの固定化」は即ち「飽き」であり、そのタレントが、以前は自分の中で突出した存在であったとしても、それ以外のタレントに対して徐々に心が移っていきます。
ところで、昨日からイメージに関する例を幾つか挙げてきましたが、最初の例を、モテたい女性における「サッカー」という「そぐわない」イメージの例えと捉えるならば、全てが「負」のイメージの例であることに気付かれると思います。
でも、一見すると全く脈絡の無い羅列のように見えるこれらの例が、ある共通の例えである点に気付かれている方は少ないと思います。
実は、これまでの例は、例えのなかの主体(女性、またはタレント)に欠けた、あるモノが原因で起こった事例を集めたものばかりなのです。
皆さん、お分かりですか?
その欠けたモノこそ、今回のテーマである「自己のイメージ」なのです。
人は、「あることをしたい」と思った時、あるいは「こうなりたい」と考えた時、自分がそうなった時のイメージを頭に描きます。
ただし、通常、そのイメージは漠然としたものが多く、自分のなかでそんなに定まっていないのが普通であり、自分の「こうありたい」というイメージを強く認識されている方は少ないと言えます。
でも、考えてみてください。
自分のなかで固まっていないイメージが、相手に伝わると思いますか?
自分が思い描くイメージは、自分の「表現」の根幹となるものです。
その基礎となる部分が不確かであるのに、それから導き出された「表現」が、相手にきちんと理解されるわけが無いと思いませんか?
これまでに挙げた例において、
極端な例えではありましたが、例えば、「男性にモテたい」と考えられている女性が、「ヨガ」ではなくて「サッカー」を趣味とすることは、誰が見ても少なからず矛盾を感じます。
また、モデル出身でこれから女優を目指そうと考えている方が、徐々にメディアに露出を図ろうとする段階…視聴者に対して自分のイメージ売り出して行こうという時期において、「男性である、自分にそっくりな父親」を例にとる必要性は感じません。
今日の例については、表現の集合体である「キャラクター」において、自己のイメージが確立されているかどうかはとても大きなポイントです。
芸能界で生き残るかどうかなど、「勝ち負け」は別として、定まった自己のイメージが重要である点には異論の無いところです。
最後の例では、「固定化されるイメージ」において問題となるのが、そのタレントが本来目指しているイメージではなく、それまでの発言を含めた表現によって、「持たれるべきでない」イメージが意図せず備わってしまうことことです。それが、ファンや視聴者が望むイメージと異なることによって、いわゆる「飽き」が生まれてしまうのです。
皆さんも、好きだったタレントに「飽き」てしまうのも、こうした、自分が「望んでいたイメージ」と異なるイメージを持ってしまう時ですよね?
つまり、タレント側から見れば、表現が定まっていなかった、または、最初は表現できていた自己のキャラクターを継続して表現できなかったということです。
ここまでのお話、ご理解いただけましたか?
分かりづらいことを承知でお話しをしていますが(笑)
明日は、これらのお話を、皆さんにあてはめて解説させていただきます。
多少はご理解いただけると思いますよ。
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Posted by ルビー♂ at 01:55│Comments(1)
│理論編
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